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月下のテニスコーツと宵闇の市と私。

2014/10/11(Sat) 16:15


目に見えないものがそこにはありました。


そこにいた人たちがきっと一同にそれを感じた夜でした。


言葉にならないなりに言葉にしてみよう、と。


年下のわたしがいうのもなんだけれどさやさんはすごくかわいい人です。お堂にお尻をむけてうたうことをとても気にして、まずさいしょにていねいにお参りをされて。ライブの前には宵闇の市をゆっくりみてまわり髪を切ったり集まった人たちと気さくに話をしながらお買い物してあるくさやさん。ライブではおぼろ月あかりの庭をはだしでうたい歩く姿は小さな女の子みたいにも見えました。少し冷えたやわらかい風がたいまつの火を揺らして、金色の葉っぱが降って、さやさんのうたと言葉、表情のうつろい。すべてが儚くいとおしく、胸に焼きつけるように。


髭と髪がうんとのびたたかしさんの煙草をふかす姿はワイルドでかっこよくて「たましい」のコーラスは獣の雄叫びみたいだった。ライブがおわってとてもすてきだったと伝えにいくと「テキトーっすよ」って笑う植野さん、いいな。(そのあと道具入れのバケツをずっと灰皿と間違えつづけていたり、ピクニックシートに寝そべってビールをこぼして共演のサコウくんのギターにかかってヒっとなる私を尻目に「おれのビールが~」って言ったりして植野さんテキトーだな!)


わたしのとりわけ好きな曲「嗚咽と歓喜の名乗り歌」をおねだりしたら「最近ぜんぜんやってないな、サウンドチェックでちょっとやろうか」という感じで、わたしは会場のセッティングをしながらそわそわ。聞き耳をたてる。あれ、やらないで終わっちゃった。と思ったら本番でやってくれた。CDともYoutubeに上がってるライブとも違うアレンジで。さやさんは、ある詩をはさんでいた。その詩はなんというか、さやさんと音楽の境目が存在しないことを示してた。さやさんの言葉は感覚のままのかたちをしている。ときおり文章になっていない。それがとても不思議で、頭ではないどこか深くにとどく。説明のつかないテニスコーツの魔法だ。わたしはずっと泣きそうだったけど泣いたあとの顔で人と話すのがはずかしいからぎゅっと、我慢。


今回のテニスコーツ企画、自分なりのフルでサポートできてほんとによかった。一緒にやろうと誘ってくれた主催のマキくんに感謝。いつもライブ企画をしてくれている人にもリスペクトが沸いたり。告知のときに「いい音楽はふらりと聴きにいくが何よりのこと」みたいなことを書いたけど、終わってみたいまに思うこと。“テニスコーツがくる”ということ以外まっさらなところから右往左往しながらたくさんの人の力が集まって実現したあの夜。月並みの表現ですが、そこを経てたどり着いたあの風景は100%のしあわせそのものでした。


最高の舞台を提供してくださった泰勝寺のみなさま、繋いでくれた坂口恭平くん、ひとつ返事でお店を出しに来てくれた宵闇の市のみんな。共演のオファーに乗ってくれたサコウリョーマくんにGIFTさん。音響機材を持って駆けつけてくれたぼうまくん。受け付けをやってくれたナギサさん。打ち上げさせていただいたzazaさん。一番のたより、マキくん。テニスコーツのさやさんに植野さん。誘いにのってくれたすべてのみなさまと、たくさんのカマキリ。

ありがとう。



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頭で理解できることに価値はない

2013/06/24(Mon) 00:50
IMG_2703.jpg


フランスパンはどんどん固くなるし、グラスの紫陽花も枯れる

シャツの青は褪めるし、髪を切るとヘアクリップは用無しになった

住んでいたアパートのドアの色を忘れ、窓から見える空の形すら思い出せなくなっていたりして



ものごとはときに足早に、ときに少し腰を据えて



ただ通り過ぎてゆくかのようにみえる



窓枠に腰掛けすすけた壁に詩を書いて

ぬるいバニラシェイクとピスタチオの殻をソファテーブルに残したまま

プランターの花をいくらか摘んでゆくようにしてやがてあたりは静かになる



あらゆるものは永続しないという仮定線上にたって



99%うすらもやがかっているうちの1%をものすごい鮮明さで感知したら



そんなときどうするかなんてきまってる





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“頭で理解できることに価値はない” 






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葬式はパレード

2013/05/11(Sat) 00:06
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わたしのおじいちゃんは常吉というイカした名前で髪は真珠色、とてつもなく寡黙な人だった。

常吉じいちゃんには少し変わった趣味があり、チラシや雑誌を切り抜いて空き箱に貼る。

今で言うところのコラージュってやつで素材の組み合わせ方や“間”がとてもエキセントリックだった。

親戚家族は「またおじいちゃんがおかしなのつくってら」って言ったけれど

私はいつも常吉じいちゃんの箱を見るたびに興奮していた。

常吉じいちゃんは子供のわたしにぺらぺら喋ることもなく黙って切り貼りをして私もまた黙ってそれを見ていた。

部屋中に溢れていた箱は常吉じいちゃんが風邪で亡くなった折に全部処分されてしまった。

どこを探したって売っていない常吉じいちゃんのとくべつな箱がひとつも残っていないなんてわたしにはどうにも理解できず

「じいちゃんの箱が欲しかった」と泣いた。

常吉じいちゃんは私にはじめて“人は死ぬ”ということを教えてくれた人でもある。

棺桶に常吉じいちゃんの髪とおんなじ白のお花と手紙を入れた。

母が常吉じいちゃんを見て優しい顔で泣いているのを見た。

お葬式はパレードだった。

骨になった常吉じいちゃんを先頭にして小銭やお菓子を道にばらまきながら親戚みんなでお寺まで練り歩いた。

私と妹はばらまかれた小銭を拾いながら歩き、パレード終着のお寺横の駄菓子屋で景気良く散財した。


(のちにこれを“撒き銭”といって東北北関東のごく一部の地域で伝わる風習だと知る)






忘れてゆくことにまつわる映画を観たのでこうして書いて確かに在ったいつかのことを思い出してみるのでした。



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