わたしのおじいちゃんは常吉というイカした名前で髪は真珠色、とてつもなく寡黙な人だった。
常吉じいちゃんには少し変わった趣味があり、チラシや雑誌を切り抜いて空き箱に貼る。
今で言うところのコラージュってやつで素材の組み合わせ方や“間”がとてもエキセントリックだった。
親戚家族は「またおじいちゃんがおかしなのつくってら」って言ったけれど
私はいつも常吉じいちゃんの箱を見るたびに興奮していた。
常吉じいちゃんは子供のわたしにぺらぺら喋ることもなく黙って切り貼りをして私もまた黙ってそれを見ていた。
部屋中に溢れていた箱は常吉じいちゃんが風邪で亡くなった折に全部処分されてしまった。
どこを探したって売っていない常吉じいちゃんのとくべつな箱がひとつも残っていないなんてわたしにはどうにも理解できず
「じいちゃんの箱が欲しかった」と泣いた。
常吉じいちゃんは私にはじめて“人は死ぬ”ということを教えてくれた人でもある。
棺桶に常吉じいちゃんの髪とおんなじ白のお花と手紙を入れた。
母が常吉じいちゃんを見て優しい顔で泣いているのを見た。
お葬式はパレードだった。
骨になった常吉じいちゃんを先頭にして小銭やお菓子を道にばらまきながら親戚みんなでお寺まで練り歩いた。
私と妹はばらまかれた小銭を拾いながら歩き、パレード終着のお寺横の駄菓子屋で景気良く散財した。
(のちにこれを“撒き銭”といって東北北関東のごく一部の地域で伝わる風習だと知る)
忘れてゆくことにまつわる映画を観たのでこうして書いて確かに在ったいつかのことを思い出してみるのでした。